徳 村  彰 さん
徳 村  杜紀子 さん

徳村彰(通称おじじ)1928年生まれ・徳村杜紀子(通称おばば)1933年生まれ/1964年、横浜の日吉に書店を開業。1971年児童文学者石井桃子の著作「子どもの図書館」に歓喜し、自分の店と自宅を開放して「ひまわり文庫」を作る。そこに集まった子どもたち500人は「文庫運動」の壁を吹き飛ばし、「やりたいことは何でもできる場」が作られる。子どもたちは自分たちの更なる可能性と創造を求めて森(木へんに水と土、以下森と表記)を求め、1983年滝上町・滝西地区に「森の子どもの村」を開設する。以来今日まで森と子どもたちの命に向き合う38年を過ごしている。

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 森(木へんに水と土、以下森と表記)は多様な生命が息づく場所

私が滝上町滝西の「森の子どもの村」を取材に訪れたのは12月29日。今年のオホーツクは雪が少ないとはいえ、村のある「熊出の沢」は滝西から更に天塩や大雪の山々に近いオホーツクの一番奥、すっかり雪に埋もれていた。1991年以来、徳村夫妻(おじじとおばば)は電気もガスもないこの森の小屋で過ごしてきた。おじじが93歳、おばばが88歳になった今は、さすがに集落の「文庫」に移ったとはいえ、おじじは365日この森へ通っている。今日も朝10時には五右衛門風呂に火を入れ、午後の1時に沸き上がった風呂をいただく。つまり、日に2度はこの森に入るのである。

「森の子どもの村」はいわば子供たちのサマーキャンプである。開村当初は毎年700人から800人が、コロナ禍の前までは100人から200人の子どもたちがこの森でひと夏を過ごす。同じようなサマーキャンプはあちこちにあるだろうが38年も続いていることは信じがたい。運営する組織の様なものはないにも関わらず、子どもたちのつながりだけで子どもが集まり、何年も通ってくるのである。

「ない」ことが村を成り立たせる最大の力といえる。組織がない、ルールがない、指導者はいない、プログラムはない。あるのは朝の集会と夕方の食糧配布だけ。「ない」がゆえに子どもたちは自分の感性、五感や六感を最大限に働かせて森と向き合い、森と遊び、森に抱かれ、自らの充足を作り上げる。

森(木へんに水と土)という文字に込められた大切なこと

「森(木へんに水と土)」という文字はもちろん辞書にはない。おじじの森との関わりから生まれた文字であり、おじじの思想の根幹となる文字である。おじじは「森」が何故「木と水と土」から成るのかをこう語る。「森は木がたくさんあるところではない。木と水と土の間にあるのはたくさんの生命、生命が育まれているところが森なのだ。生命に区別はないし、一つとして同じ物はない、森の生命は他のどんな生命も犠牲にしない。どの生命が欠けても森の生態系は傷つく。」
この話を聞いて私は、「この「子供の村」は「ひまわり文庫」と同じなんだ」と思った。おじじが語った「森の生命」を「子ども」に置き換えてみればすべてが分かる。「ひまわり文庫」に集まる子供たちが何故「森の子どもの村」を強く求めたかの理由も。

森がくれる生命としあわせ

おじじは子どもらが何回もここに来る理由をこう語ってくれた。「厳しいだろうけども「しあわせ感」を感じるからだ。なんでもないのにただ木のそばに立っているだけでそれは感じられる。年老いた私以上に子どもらは深く感じることができる。「そうなんだ」と自覚できなくても、
必ず感じている。だから何回も来るのだよ。」

1960年から80年にかけて、全国で「文庫運動」が立ち上がり、何千という文庫ができた。だが、「ひまわり文庫」は一気に「良い子のための文庫運動」を乗り越えてしまった。「子どもが主人公」、「子供のやりたいことをやれる場を作る」というおじじとおばばの行動原理は、「大人
や集団や社会に合わせられることが成長」とする教育観が、結局は子どもの個性と可能性つまりは「生命」を蝕んでいることへの告発であるだろう。

「森の子どもの村」に通ってきた子供たちは、今や滝上の町に居と生業を構え、チーズを作り、七面鳥を飼い、ハッカを育て、観光を作り、町の活力を作り上げる中核的存在として町民の大きな信頼と期待を受けている。おじじは彼らのことを「森に惚れたからだ」と言い切る。森を介
しての人との出会い、森とともにあることの共感、魂をひっくり返すほどのしあわせ感の詰まった言葉だ。
五右衛門風呂に浸かった体を起こし、おじじは森の神に祈るという。「今日も一日私を友を生かしていただきありがとうございました。私たちにつながるあらゆる人達、亡くなっていった人達の魂が安らかでありますように」


この取材は当初、集落の「文庫」に戻ってお聞きする予定でしたが、おじじの風呂上りに熊出の沢の小屋でお聞きしました。長い時間のインタビューとなり、体調を考慮して更に「文庫」でのインタビューは取りやめました。結果おばばのお話をお聞きできなかったことは申訳なく
思っております。お許しください。

\この記事を書いた人/

長南進一/北見市生まれ、大学から27年間を東京で過ごし、2000年にUターン。オホーツクの素晴らしさにあらためて感動し、オホーツクの地域おこしに奔走。明日のオホーツクラボラトリー代表。

オホーツクテロワール