​伊吾田 順平・良子さん

写真右 いごた・じゅんぺい/1974年横浜市に生まれる。大学では山岳部に所属し、自然に関する仕事がしたいと2006年に西興部村に移住。NPO法人西興部村猟区管理協会で事務局長をつとめる。ハンティングガイドとしても活動し、エコツアーも実施する。

 

写真左 いごた・りょうこ/茨城県水戸に生まれる。順平さんとは大学時代に出会い、2006年に移住。西興部村猟区管理協会会員。

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私たちが獲り、私たちがなめし、私たちが創る

なめしって何だろう? わたしたちが日常使っている、革製の財布やスマホケースや名刺入れ、バッグにはなめしの技術が施されています。辞書によると、「動物の生皮から不要なたんぱく質や脂肪を取り除き、薬品で処理して、耐久性・耐熱性・柔軟性をもたせることがなめし。」動物の皮はなめしの加工技術なしでは、すぐに腐ってしまったり、乾燥するとカチコチになってしまうのです。

伊吾田良子さん(以下、良子さん)は、2007年に狩猟免許を取得し、2011年に西おこっぺエゾシカクラフトサークルを立ち上げ、それまではほとんど廃棄されてきた鹿革の有効活用に取り組んでいます。その取り組みに対する思いは、せめて自分のとった鹿革は活用したいという気持ちがあったといいます。

猟と解体は主に伊吾田順平さん(以下、順平さん)、良子さんはなめしとクラフト作業という役割分担で一連の仕事をしています。西興部村の猟期は9月15日から4月15日。冬毛の鹿革は塩蔵し、4月下旬、気温が20度になる頃が皮のなめしに適している時期なので毎年5月~11月中旬までは皮なめしの作業をしているといいます。良子さんはなめしの作業をすべてハンドメイドで行います。タンニンなめしの作業は1枚なめすのに1ヵ月半の期間と手間を有し、12月~4月の冬から春にかけては主に革を柔らかくしたり、クラフト作業を行います。

―――クラフトのアイデアはどのように浮かんできますか?

良子さん 自分が欲しいもの、あったらいいなを創っています。あとはお客様のリクエストに応じて、オーダーを受けて作製もしています。ゼロから携わっているので、お客様の笑顔を見たときに仕事の喜びを感じます。

◇ ◇ ◇

 

良子さんのお話を伺いながら、小さくて可愛らしい靴が目に飛び込んできました。それは良子さんがはじめて獲った鹿の革で作ったファーストシューズで、一人娘のすずさんの1歳になる誕生日にプレゼントしたものだそうです。娘さんが大人になったときにどう感じるだろう、と温かいまなざしでお話されたことが強く印象に残っています。

―――お休みの日はどのように過ごしていますか?

純平さん 春には家族でギョウジャニンニクやタラの芽、ウド、たけのこなどの山菜をとりに山に出かけます。子どもの頃ご両親や従兄弟と山菜取りに出かけたことをいまも覚えており、それが現在につながって、娘へと受け継がれる原体験になっていると感じています。夏はヤマメ釣り、秋はキノコとりや鹿猟。娘は0歳のときから私たちと鹿猟に同行しています。冬は氷点下20℃の世界。自宅のログハウスの外で、極寒バーベキューや、アイスバーを楽しみます。

生き物が食べ物に変わっていく過程を見せたい

ご夫妻が住むログハウスに伺うと、薪ストーブが焚かれており、白い犬のチュプ(アイヌ語で太陽の意味)が元気に出迎えてくれました。「今日は午前中、鹿2頭撃ったよ。」順平さんの日常をすごく新鮮に感じました。それは私たちの生活のなかで食の過程が分断されつつあり、自分たちの食べるものがどのような過程を経て、食卓に上っているのかがイメージしづらくなっているということがあるのだろうと思います。順平さんはオンラインでも狩りから食すまで、食し、生かすまでを伝えています。

都会に住む方は、順平さんの生き方に憧れを抱き、非日常を体験するため、その人に会うために西興部村に足を運びます。伊吾田さんご夫妻は、NPO法人西興部村猟区管理協会に所属しています。西興部村では2004年からいち早く猟区制度を導入し、村内の狩猟を管理することで、エゾシカの個体数を調整し、シカによる農林業被害を抑えつつ、残滓の不法投棄等、ハンターの不適格行為を管理できる特徴ある取り組みがなされています。順平さんの言葉の端々から村や村に住む方への感謝の気持ちが伝わってきます。フィールドを利用できるのも村のおかげ、地域の人同士のつながりを大切にしながら西興部村に軸足を置いて自然の中で生きることを楽しんでいるように感じました。オホーツクには有形無形の宝が多く眠っていると感じています。読者のみなさまも非日常を体験してみたくはありませんか?

\この記事を書いた人/

遠藤友宇子/雄武町で曽祖父時代より漁業を営む一家の一人娘として生まれる。京都での学生生活を経て、出版社「ぎょうせい北海道支社」で3年の勤務を経て、生まれ故郷に戻りオホーツクの魅力発信に努めている。

オホーツクテロワール