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秋山 恵美子さん

あきやま えみこ/1966年、母の実家である新潟県中里村(現十日町市)で生まれる。生活の拠点は東京板橋であったが、学校の夏休み、冬休みは祖父母の住まう中里村で過ごした。毎日雪踏みをしないと外に出られない雪の怖さも知っている。山菜摘みが好きな母と川釣りの好きな父のもとで育つ。環境レンジャーをめざしC・W・ニコルが初代校長を務めた東京環境工科専門学校に学ぶ。尾瀬、知床、川湯の自然と向き合い、2012年の濤沸湖水鳥・湿地センターの設立に関わり、翌年から常勤スタッフとして調査、レクチャー、ガイド活動にあたっている。

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濤沸湖の多様性がもたらす豊かさと人の営みを見つめる

秋山さん 小学校時代はまだ板橋にも雑木林が残っていて、母からは「栗の木は折れるから危ない」と言われていたので、それ以外の木に登っていました。カエルの卵を取りにススキの原をかき分けて入ったり、そんな自分の楽しい場所・遊び場がどんどん潰されていくのは「何でだろう」と思っていました。中里の村では祖母から「この畑の下には東京まで電気を運ぶ配管が埋まっている」と聞かされて「東京に住む自分も自然を壊しているのかなぁ」と複雑な思いになりましたね。

濤沸湖は網走市から小清水町にかけてオホーツク海に隣接する湖。その北の端はオホーツクに繋がり、海水と淡水が交じりあう汽水湖である。湖やその周囲の湿地には年間を通して約170種(今まででは約260種が確認されている)の鳥たちが訪れる。北海道には13のラムサール条約登録湿地があるが、森、川、海が繋がった濤沸湖の環境はその中でもとびっきり多様な生態系をはぐくんでいる。
それは鳥たちや水中生物、昆虫、哺乳類、植物たちの恵みの場所であるばかりではなく、人間にとっても恵みの場所である。寛政初年の測量記録「西蝦夷地分間」には、濤沸湖周辺に酋長マウタラケが治めたアイヌの大集落ウラヤシベツがあったと記されている。また古い地層からは縄文期の住居跡や土器が発見されており、濤沸湖が古代から人間の生活に深く関わってきたことが解る。

豊かさがもたらした自然の危機

 

秋山さん 多様性が高い汽水湖は鳥や他の生物たちと人間の生活との距離が近くなります。恵みの豊かさは産業も生みます。ただ、濤沸の漁師さんは「魚がいなくなった」と言います。昔は長靴で歩くと魚がぶつかってきたそうです。「獲り過ぎたからだ」と。グチャグチャだった湿地も乾いてきた。農地が拡がって森がなくなり沢の水や湧き水が入ってこなくなったと聞きます。海や周辺河川から土砂が流れ込んで砂州が拡がり、湖の富栄養化も起きています。一方で流氷は減少し、それが運んでくる栄養は少なくなります。
更に温暖化が進むと生き物の餌が変わります。餌が変われば、集まって来る鳥や生き物たちも変わることになるでしょう。ここ数年見えてきた変化はノビタキやノゴマといった小鳥たちが減っていることです。以前このセンターの窓の下は飛び回る小虫たちの死骸で一杯になり、夏は朝晩履き掃除をしなければなりませんでした。今は小鳥たちの餌であるその小虫たちが少なくなっていると感じています。

 

 

 生態系の多様さが豊かさを生み、鳥や生き物たちを集め、人間の営みを支える。しかしその「多様さ」が損なわれるとき、どんな事態が生まれるのだろうか。

私達が残すべきは共生の文化


秋山さん 地元の人がセンターに来て、「ここにこんな施設があることを知らなかった」と言っていただきました。地元の人たちも、「あたりまえ」としか思ってこなかったオホーツクの自然を見直そうとしています。年毎に流氷が減り、温暖化の影響が目に見えるようになって、そういう人たちが増えていると思います。センターの展示内容もそれを意識しています。濤沸湖という自分たちの持っている「場」の意味を見直してもらうそんな場所にしていきたいと思っています。センターがやろうとしていることも、「自然を人間からプロテクトする」ことではありません。めざしていることは「ワイズユース(賢い利用)」ということです。人は自然と関わることで文化を生んできました。自然環境が変わるということは文化が変わるということです。今の私たちの文化をどう変え、どんな文化を将来に残すのかが問われている。人間と自然とが共生していける文化を残していきたいと思っています。

自然を人間からプロテクトするには、人間を自然から切り離す以外にはない。しかし人間が生きることとは、何かしら自然を切り取ることである。自然が生命の連鎖の体系であるなら、大事なことは切り取られた自然が回復できることだろう。
秋山さんは子供の頃から自然と関わることの楽しさと、一方で人の営みによって自分から自然が剝ぎ取られていくことの不快さを感じて来たのだと思う。そして今、人と自然の回復可能な関わりの中に、人間の営みが本来持っている楽しさ、豊かさ、文化を位置づけようと取り組んでいる。
オホーツクがその回復のためのフィールドである。私たちはこのオホーツクの回復力を自らの、そして地域の力にしていかねばならないと思う。

オホーツクテロワール
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