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オホーツク文化を旅する
〜魅力的なオホーツク文化の世界〜

オホーツク文化とは何か、ご存じでしょうか。

それは、5世紀から12世紀にかけて、アムール川河口域からサハリン、北海道のオホーツク海沿岸、そして千島列島にかけて広がった、北方民族「オホーツク人」による文化です。北海道では、北は稚内から南は根室に至る広い範囲に、その足跡が残されています。

彼らは、海とともに生きるダイナミックな狩猟・漁労文化を持ちながら、繊細で豊かな美意識もあわせ持ち、北海道の歴史の中でもひときわ個性的で魅力的な存在でした。

 

12世紀頃になると、彼らは擦文文化の人々と融合し、独立した文化としてのオホーツク文化は姿を消したとされています。しかし、その痕跡は今も各地の遺跡として残り、さらにその精神や営みの一端は、現在のオホーツク地域にも息づいています。

 

本サイトでは、オホーツク人の足跡をたどりながら、代表的な遺跡や景観、体験の場をご紹介します。

この地を旅することで、遠い昔の人々の暮らしや想いに触れていただければ幸いです。

さあ、オホーツク文化の旅へ出かけてみませんか。

オホーツク文化中期(7世紀頃)と周辺の諸文化

オホーツク文化の時代

オホーツク文化が北海道で展開された時期は、日本の歴史の中では、奈良時代から平安初期に当たります。

そのころ北海道では続縄文、擦文文化が展開されていました。

オホーツク文化は、同時期のこれらの文化と比較すると次の三つの特徴を持っています。

① 北海道からみて外来の文化となる点

② 海獣狩猟や漁労を生活の基盤とする高度な海洋適応が認められる点

③ 動物を対象とした儀礼の痕跡が目立つ点

 

オホーツク文化は、土器の型式から前期・中期・後期の三つの時期に区分されています。もっとも分布を広げていたのは中期(7世紀頃)であり、後期(8〜9世紀頃)になるとオホーツク文化の中でも地域差が目立つようになります。

その後、南から進出してきた擦文文化と接触し、道東部ではトビニタイ式と呼ばれる折衷様式の土器が生み出され、やがてアイヌ文化へと引き継がれていきます。

オホーツク文化の時代的な位置づけ

オホーツク式土器

(粘土紐の形状が素麺に似ていることから呼ばれる「ソーメン文」と、水鳥の模様が見られる)

(出典:文化庁 文化遺産オンライン)

オホーツク人とその暮らし

オホーツク人は、5〜12世紀ごろ、アムール川下流域・サハリン・沿海州など北東アジア沿岸に起源をもち、海を渡って北海道オホーツク沿岸へ来た海洋民族と考えられています。狩猟・漁労に優れ、独自の文化を築きました。

オホーツク人は、地面を五角形あるいは六角形に掘り下げた竪穴住居に住み、クマの頭骨を祀るなどの動物儀礼を行っていたことが判っています。また、イヌやブタの飼育、芸術性の高い土器や彫像作り、大陸との交易なども行っていたなど様々な特徴があります。

 

オホーツク人はどんな暮らしをしていたのでしょうか。その特徴をいくつかご紹介しましょう。

 

【特徴的な住居・墓】 

 オホーツク文化人の住居は、五角形または六角形の竪穴住居で、いくつかの家族が同居していたようで、大人数で暮らしていたと考えられています。住居の中央には炉があり、それを囲む床には凹字形で粘土が貼られており、住居の奥にはクマの頭骨や、海獣の骨などを積み上げた骨塚が設置され、動物儀礼を行っていたと考えられています。

墓は住居に近接した位置につくられることが多く、埋葬の際は、手足を折り曲げた姿勢で墓坑に安置(屈葬)し、頭の上に土器を逆さまに被せる(被甕)という特徴的な方法がとられました。

復元された竪穴住居(ところ遺跡の森)

頭骨の祭壇(オホーツクミュージアムえさし)

墓跡の復元展示・埋葬の様子

(モヨロ貝塚館)

墓跡の復元展示・外観<土器が逆さまに被せられている>(モヨロ貝塚館)

オホーツク人が住んでいた竪穴住居は、大型で長さ10〜15mに達するものが多く、平面形は五角形または六角形でした。建物内部は、中央に炉が設けられ、大きなものでは3~4家族(15~20人くらい)が同居していたと考えられています。

【豊かな食生活】

 遺跡の多くが海岸近くにある事から、海での生業に特化していたことがわかります。高度な漁労、狩猟、採集を基本とする海獣狩猟民族といわれています。礼文島の香深井1遺跡からは大量のニシンやホッケ、ウニ殻や貝殻が出土し、魚を中心に食べていたと思われますが、流氷が押し寄せる道東部では、海獣を捕食していたようです。そのクジラや、アザラシは、食料としてだけでなく、皮革や骨、油脂なども利用されていました。また、オオムギやアワ、キビなど大陸から渡来した穀物を栽培していたとも考えられています。

当時の食の再現(オホーツクミュージアムえさし)

海獣狩猟などに使われた銛頭

(東京大学常呂実習施設・北見市教育委員会所蔵)

モヨロ人(オホーツク人)のイメージ(モヨロ貝塚館)

【芸術性あふれる優れた創作物】

遺跡から、ヒトを表現した彫像も見られますが、圧倒的に動物をかたどった彫刻が多く出土されています。これは、人と動物が近い関係にあったことを物語るとともに、アイヌ文化にも通じる様々な動物を「神として祀る」儀礼があったものと考えられます。これらは、動物の骨で作られています。

オホーツク式土器

オホーツク式土器には細長い粘土紐を使った文様が多く見られます。この粘土紐の形状が素麺に似ていることから「ソーメン文」や「貼付文」と呼ばれています。また、水鳥や海獣の模様付けがされている土器も発見されています。

オホーツク式土器

(粘土紐の形状が素麺に似ていることから呼ばれる「ソーメン文」と、水鳥の模様が見られる)

(出典:文化庁 文化遺産オンライン)

動物意匠遺物

遺跡から、ヒトを表現した彫像も見られますが、圧倒的に動物をかたどった彫刻が多く出土されています。これは、人と動物が近い関係にあったことを物語るとともに、アイヌ文化にも通じる様々な動物を「神として祀る」儀礼があったものと考えられます。

これらは、動物の骨で作られています。

動物意匠遺物(ラッコ)

(出典:文化庁 文化遺産オンライン)

動物意匠遺物(クマ)(複製)

牙製婦人像(複製)

モヨロのビーナス(*)

オホーツク文化を旅しよう

オホーツク地域には、北は稚内、利尻・礼文文化から南は根室まで、オホーツク人が居住していた大小さまざまな竪穴住居跡が今も残っており、当時の彼らの暮らしの一端を感じることができます。

そこから発掘された様々な出土品は、現地の博物館で見学することができます。

オホーツク文化遺跡の分布状況とその関連資料を展示している博物館

オホーツク文化の代表的な遺跡 1

【史跡 最寄貝塚】

 所在地: 網走市

 存続時期: 1300年前(7世紀)から1100年前(9世紀)

 主な遺構: 竪穴住居、被甕墓、貝塚

 主な出土品: オホーツク式土器、石器、骨角器、鉄器

モヨロ貝塚は網走川の河口に位置している。オホーツク文化の竪穴住居跡は7軒現存しており、そのうち4軒が発掘調査済みで、住居内部からは石組み炉や粘土床、骨塚などが確認されている。

竪穴住居を囲むように墓域が広がり、300以上の墓がある。周辺の常呂遺跡では15、目梨泊遺跡では50なので、モヨロ貝塚は突出した数となっている。

ガイド養成講座(2025年9月実施)の梅田氏レジュメより説明文引用、一部改変

①モヨロ貝塚館

②オホーツク文化の竪穴住居跡群

③オホーツク文化の墓域

④オホーツク文化の貝塚

⑤続縄文文化の 竪穴住居跡群

モヨロ貝塚館パンフレットより引用

【史跡 最寄貝塚】をもっと知りたい方へ(リンク集)

モヨロ貝塚館

 (http://moyoro.jp/

網走市立郷土博物館

 (https://www.city.abashiri.hokkaido.jp/site/kyodo/

東京大学デジタルアーカイブポータル「史跡モヨロ貝塚ガラス乾板写真デジタルアーカイブ」

 (https://www.l.u-tokyo.ac.jp/moyoro/index.html

 (https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/collection/moyoro

オホーツク文化の代表的な遺跡 2

【史跡 常呂遺跡】

 所在地: 北見市常呂町

 存続時期: 縄文から続縄文、オホーツク、擦文、アイヌ文化期

 主な遺構: 竪穴住居、墓坑、チャシ跡

 主な出土品: 各時代の土器、石器、装身具

常呂遺跡は常呂地域の海岸部からサロマ湖畔にかけて東西約8.6kmの範囲に断続して広がる。約2700基の竪穴が分布し、標津町の史跡 標津遺跡群とともに「北海道東部の窪みで残る大規模竪穴住居跡群」として世界遺産暫定一覧表への記載を提案している(平成19年)。また、常呂遺跡に隣接する「常呂川河口遺跡」では、98基の墓から出土した1805点の副葬品が一括で「北海道常呂川河口遺跡墓坑出土品」として国の重要文化財となっている。副葬品にはサハリン産の琥珀玉が含まれており、北方地域との交流が盛んだったことを示している。

ガイド養成講座(2025年10月実施)の

中村氏レジュメより説明文引用、一部改変

ところ遺跡の森パンフレットより引用

埋蔵文化財センター 【復元模型】

東大常呂資料陳列館 【骨角器】

【史跡 常呂遺跡】をもっと知りたい方へ(リンク集)

ところ遺跡の森

 (https://www.city.kitami.lg.jp/administration/education/detail.php?content=8321

東京大学学術資産等アーカイブズポータル「常呂川下流域の考古資料コレクション」

 (https://www.l.u-tokyo.ac.jp/t_collection/

東京大学大学院人文社会系研究科附属 北海文化研究 常呂実習施設・常呂資料陳列館

 (https://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokoro/index.html

オホーツク文化の代表的な遺跡 3

【北海道指定史跡 オムサロ台地竪穴群】

 所在地: 紋別市

 存続時期: 縄文早期から続縄文、オホーツク、擦文の約一万年間

 主な遺構: 竪穴住居、高床倉庫、墓壙、(第二次大戦中の塹壕)

 主な出土品: 各時代の土器、石錘などの石製品、刀子などの金属器

オムサロ遺跡は紋別市の中心部から北西に約7km、オムシャリ沼と渚滑川に挟まれた海岸沿いの標高10~15mの段丘上に位置している。

現在でも埋もれきらないで、竪穴住居跡が208軒 (A遺跡:60軒、B遺跡:57軒、C遺跡:91軒) 確認されている。遺跡公園はC遺跡のうち、台地の南端35軒が集中しているところにあり、約千年前の擦文文化の様子が再現されている。

オホーツク文化期の出土品としては、オホーツク文化特有の「ソーメン状貼付文土器」や「沈線文土器」が出土し、墓には「曲手刀子」も副葬されていた。

オムサロ遺跡公園パンフレットより引用

【北海道指定史跡 オムサロ台地竪穴群】をもっと知りたい方へ(リンク集)

紋別市立博物館

 (https://mombetsu.jp/education/?content=5224

文化遺産オンライン 「オムサロ台地竪穴群」

 (https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/135138

オホーツクテロワール
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